連載:沖縄戦がおしえてくれること(2)
東京都の牛島貞満さん(71)は、幼いころから「おじいさまは立派な人だった」と言われて育った。
妹の担任は、家庭訪問の際に「御霊前にお参りしたい」と願い出てきた。小学校の教員になった時には、赴任予定の学校の教頭が祖母に「閣下のお孫さんを迎え入れることができて光栄です」と電話をかけてきた。
祖父の名は、牛島満。80年前の沖縄戦で日本軍守備隊「陸軍第32軍」の司令官を務めた人物だ。
比較的裕福な薩摩藩の士族の出だった祖父は、陸軍幼年学校、陸軍士官学校とエリート軍人の道を進んだ。日中戦争にも参戦し、おおらかな人柄で部下にも慕われたという。
そして、太平洋戦争の戦局が悪化した1944年8月、士官学校の校長だった祖父は、沖縄などを守備する陸軍第32軍の司令官に任命された。
生きて帰れないかもしれない沖縄に堂々と赴き、圧倒的劣勢ながら米軍を苦しめた将軍――。
そんな元部下らの評判は、幼い貞満さんにはわからなかった。自分にとっては、自宅の応接間に飾られた写真の、いかめしい軍服姿の人物、というだけだった。
だが、高校生になった60年代後半ごろから、祖父の存在を意識せざるを得なくなる。
当時、日米の沖縄返還交渉が…