太平洋戦争の最前線を個人のカメラで記録していた日本陸軍の少尉がいた。被写体は放置された装甲車、墜落した英軍機、白旗を持って降伏する英軍……。それから八十余年経った今、息子が残された写真などを題材に平和の大切さを訴えている。
愛知県半田市の元小中学教諭、坪井二郎さん(70)は市民団体「半田市平和資料室をつくる会」の代表で、各種団体の行事で、戦争の実態や平和について講演している。
坪井さんの父の英(はなふさ)氏(1920~88)は名古屋市熱田区出身。陸軍士官学校を卒業し、1941年12月の当時英領だったマレー半島の上陸作戦に少尉として従軍。インドネシアで終戦を迎え、46年の復員後は同区で繊維業を営んだ。87年に戦地での体験をまとめた「ずいの穴から覗(のぞ)いた戦場 一初級将校の戦地五年間の記録」(A5判192ページ、丸善名古屋出版サービスセンター)を出版した。
同書によると、英氏は開戦直前に駐留した中国・上海で、「新品少尉」の月給60円の予算でドイツ製の中古カメラを購入。フィルムは50本入りの煙草(たばこ)の空き缶に詰め込んだという。
同書の「マレー作戦」の章には、撤退する英軍に爆破された橋、破壊された装甲車などだけでなく、当時の陸軍司令官、山下奉文(ともゆき)中将=戦後、処刑=の視察や現地のスズの露天掘りの様子、ワニを持ってくつろぐ自身の写真もある。これらは駐在していた街イポー(現マレーシア)で現像されたが、フィルムは現存していないという。
東南アジア史に詳しい琉球大学の高嶋伸欣元教授は、朝日新聞の取材に「一線の兵士が個人的に撮影した写真は非常に少なく、戦後も個人の手元に残っていたというケースは聞いたことがない」と、闘病中のため家族を通じて回答した。
同書で英氏は、「殺し合うの…