難民支援住宅「シティ・プラザ」として活用されたギリシャ・アテネの廃ホテル=2025年7月25日、一般社団法人WHO CARES提供

Re:Ron連載「あちらこちらに社会運動」第13回【おもし論文編】

 今年度は、いわゆる「子ども食堂」やコミュニティースペースのような、多様な人々が集まりつつも、孤立した子どもやお年寄りの「居場所」になるような都市空間についての研究を行っている。そうした「場」の議論と切っても切り離せないのが、野宿者や住宅喪失者といった住まいを失った人々の存在だ。昨年末には認定NPO法人「抱樸」(ほうぼく)の「希望のまち」プロジェクトについて奥田知志さんからお話を伺い、今年は札幌市にある「WHO CARES」という一般社団法人にお伺いした。

 いずれのプロジェクトも特徴的な点がある。

 基本的には、生活が困窮していて家賃を払えなくなった人々や、家族からのドメスティックバイオレンス(DV)やネグレクトといった理由により家に居られなくなった人々のためのシェルターなのだが、単に居室にとどまらずコミュニティースペースやレストランを併設しようとしているのである。人々に安全な住まいを提供するだけなら、寝室や浴室を提供すれば良いと考えがちだ。しかし、なぜそこに第三者との集まりの場を作り出す必要があるのだろうか。

 安全に暮らせない人々に住まいを提供する。こうした運動に関する研究は、例えば上述したようなシェルター運営事業や、いわゆる「ホームレスキャンプ」「ホームレスビレッジ」と呼ばれるような、路上で野宿者・支援者が共住するコミュニティーを対象とすることが多い。今回はその中でも、ギリシャ・アテネにおける廃ホテルを活用した難民支援住宅であり市民有志のコミュニティースペースでもある「シティ・プラザ」というプロジェクトを対象とした論文を読んでみよう。

【今回の論文】エレニ・カトリーニによる「難民住宅の空間的表現 – シティ・プラザの事例」

Eleni Katrini, “Spatial manifestations of collective refugee housing – the case of City Plaza”, Radical Housing Journal, May 2020 Vol 2(1): 29-53.

市民有志が発足させた、難民のための住居

 2015年当時、ギリシャにはシリア内戦から逃れた人々が大勢難民としてやってきた。こうした状況に対応する形で、ギリシャ政府は多くの地域に難民キャンプといった一時的な住居を設置するものの、どのキャンプも過密な状態に陥り、生活環境も良いとは言えず、心身を悪化させる難民の人々が大勢生じた。こうした問題に対して、よりよい生活環境を提供しなければと有志の市民が立ち上げたのが「シティ・プラザ」のプロジェクトであった。

 日本でも、インドシナ難民支援から始まった試みとして、横浜市・大和市にまたがり、多くの外国籍の人々が暮らす約3600戸の大規模団地「いちょう団地」など、外国籍の人々と地域住民が共に暮らす試みは全国各地で見られる。このシティ・プラザの特徴は、なんと空きホテルを活用し、3年間にわたり数百人の難民が居住したという点にある。その約半数が子どものいる世帯だったそうだ。

神奈川県大和市と横浜市にまたがる県営いちょう団地

 地域に住む運営者や支援者とともに、さまざまな国・地域からやってきた人々がシティ・プラザで共に生活するが、文化や社会的背景が異なる人々の共住では、ボランティアの人々が医療や衣食住、法的な手続きのサポート、また語学の教育などさまざまな補助を行っている。ここで重要なのは、こうした活動が一方的な「支援」ではなく、あくまで支援者と居住者による「自治」に基づいているということだ。たとえば、居住者が故郷の名物料理を振る舞うといったことも珍しくない。

 週に一度の全体会議では、支援者と居住者が立場に関係なくシティ・プラザの運営について話し合い、食事の準備をする人から開催するイベントなどさまざまなことを決定する。居住者が、女性やマイノリティーだけのフロアを作りたいといって部屋割りが変更されたこともあった。「ホテル」ではなく「共同住宅」であり、民主的な参加や自治といった価値が重要視されているのだ。

 この論文を読んで私はかなり…

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