プロを目指した音楽活動を20代で諦め、働いていた会社が30代で倒産した。それでも「やりたいこと」を続けられたのには理由があった。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を20年以上追いかけるジャーナリストの鈴木エイトさん(57)を支えた意外な仕事とは。
世の中がサッカーの日韓ワールドカップで沸いていた2002年6月。鈴木さんは、渋谷駅近くで教団信者による路上勧誘に遭遇した。ちょうど前日、教団信者という身分を隠した勧誘についてテレビで報道を見たばかりだった。
信仰は否定しないが自由な意思決定を侵害するなら、それはおかしい。勧誘している信者も広い意味で被害者なのではないか――。そんな疑問がわいた。以降、時間を見つけては、路上勧誘の現場や関連団体の催しに赴くようになった。
滋賀県出身。日本大学を卒業後、就職活動をせずバンドを組み、東京都町田市や横浜市を拠点にプロのミュージシャンを目指した。ライブで共演する「対バン相手」には、メジャーデビューした「SHAZNA」や「SIAM SHADE」がいた。
ボーカルとして「七瀬」の名で活動。ライブには、50人~100人が集まり固定ファンもついたが、26歳の時にきっぱり諦めた。渋谷駅近くの路上勧誘を見て教団に興味を持ったのは、ビルメンテナンス会社の契約社員として働いていた時だった。
当時34歳で、月収は35万円ほど。目標も大きな不満もない生活だったという。ただ、会社の業績は悪化していた。不安になった債権者が会社を訪ねて来るようになっていた。
「もしも」の時を考えて、鈴木さんは準備を始めた。
目をつけたのが不動産。多額…