ある晩秋の昼下がり、岡山市郊外にある自転車店に、見慣れない若い男性が入ってきた。目をキョロキョロさせ、所在なげな様子を、店長の恒次智さん(47)はよく覚えている。
「何してんの?」
「いま、何もしていないです」
「え、そうなん……」
たわいない会話の相手が、パリ五輪自転車競技代表の太田海也(25)だった。大きな挫折を経験したばかりだったことを、恒次さんはまだ知らなかった。
「ちょうどスタッフ募集してるんだ。1枠あるけど、明日1人面接するから、決まれば終わり」
店員募集の貼り紙に目をとめた太田に、恒次さんが何げなく声を掛けた。
太田は即座に「僕も受けていいですか」と食いつき、翌日履歴書を持ってやってきた。採用され、店員として働き始めた。
高校時代はボート、大学に進学したが
高校時代に打ち込んだのはボ…