大学の教壇に立つ安本芳勝さん=本人提供

 大分県別府市で生まれた安本芳勝さん(52)。

 幼少期は福岡県で育ち、中学3年生の時に父親の転勤で埼玉県へ。

 高校入学後に福岡に戻ることになり、編入試験を受けて進学校に入り直した。

 親族は高学歴者が多く、勉強するのが当たり前という環境で育った。

 「大事なのは偏差値。いい学校、いい会社に入らなくちゃダメ」

 そんなプレッシャーを感じながら、ひたすら勉強した。

 高校時代、ロックバンド「X JAPAN」のhideさんに憧れて、ギターが欲しかった時期がある。

 「そんなことにうつつを抜かす暇なんてないでしょ?」

 そう言われるのがわかっていたから、手を出さなかった。

 学校から帰ったら塾へ行き、土日も塾で自習する生活。

 隣県の熊本大学法学部を受験し、現役合格した。

 福岡の大学を受けなかったのは「家族の束縛から離れたい」という理由からだった。

1ミリも勉強しなかった大学時代、そして就職

 それまでの反動で、大学入学後は「1ミリも勉強しなかった」。

 学生寮の隣の部屋の先輩が空手部で、半ば強制的に入部することに。

 朝練、昼練もあり、授業中は道着を枕にして寝ていた。

 夜になると、寮生たちで作ったバイクサークルのメンバーとツーリングへ。

 マクドナルドでアルバイトしてためたお金で、カワサキのゼファー400を買った。

 就職活動では、スーパーゼネコンと呼ばれる大手建設会社を受けたが、すべて落ちた。

 志望した理由は「親族が多く働いていたから」。

 「ここに入ることができれば、身内から文句を言われることもないだろう」

 そんな動機で業界研究もろくにしないまま臨んだので、当然の結果だった。

 どうするか悩んでいた時、空手部のOBから「NTTで働かないか?」と声がかかる。

 リクルーターだった彼の勧めを受け、しっかりと志望動機を固めて試験対策もして、見事内定を勝ち取った。

 「親戚で俺以上にいい会社入った人いる?」

 思い返しても恥ずかしいくらいに、てんぐになっていた。

半年間の休職、そして子会社へ

 当時は「会社に入ることがゴール」だと思っていた。

 やりたい仕事や成し遂げたい夢もなく、目の前の仕事をクリアすることだけを考えていた。

 任されたのが、地方自治体向けにISDN回線の導入を売り込む仕事。

 インターネットに興味はなかったが、パソコンなどの機器を持ち込んで実演して回った。

 仕事は順調で「このまま出世して給料もアップすればいいな」と漠然と思っていた。

 30歳を過ぎて結婚し、娘が生まれて家を買った。

 当たり前とされていたルートを進み、「何も考えずにレールに乗って進むのが最善」と考えていた。

 転機が訪れたのは、40代半ばの時。

 それまでの回線営業から一転…

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