林真理子さんに聞く(4)
「愛した 書いた 祈った 寂聴」。岩手県二戸市の天台寺の墓に刻まれている言葉だ。寂聴さん自らが99年の生涯を端的に表した。その長く激しい人生で伝えたかったことは何か。「ありのままで生きていていいんだよ」。林真理子さん(70)は、そう教えられたという。
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――1973年、51歳での出家が、その後の小説にどう影響しましたか。
ものすごく難しい問題ですね。一遍や西行、釈迦をテーマにした小説を書くようになりましたし、源氏物語の現代語訳を完成させました。そのときの先生にとって最大のテーマは、源氏の君は、出家した女性には手を出さないということでした。
京都・嵯峨野の寂庵(じゃくあん)で法話をし、いろんな人の話を聞いたことも大きかったと思います。悩みを抱える人たちのよりどころになり、書く力がわいてきたはずです。
女性誌でも人生相談を続けましたよね。私も読んでいましたが、おばさまたちのおもしろくも何ともない質問に、よく答えているなあ、先生はすばらしいなあと思っていました。私にはできません。
そのことを先生に言ったら「僧侶の役目だから仕方がないわよ」と笑っていました。
すべてを許し、受け入れた寂聴さん
――晩年は病を繰り返しました。「老い」をどうみていましたか。
成熟の完成形です。年を重ね、見るべきものはすべて見た。あらゆることを受け入れた。そういう精神や人間性が、よい方向に成熟していきました。
――「生きることは愛すること。愛することは許すこと」とおっしゃっていましたが、すべてを許す境地に達したのはなぜですか。
作家は、人の人生をえぐり出します。いくら承諾を得て取材したとしても、えぐいことをしているんです。死んだ人といえども、その人を傷つけます。墓から掘り出し、解剖するようなものです。
先生も、いろんな人を書いてきました。しかも取材力はねちっこく、筆力は精緻(せいち)で、その人の人生を残酷なまでにえぐり出しています。書かれた人たちのすべてが喜んでいるわけではなく、先生のことを恨んでいる人もいたはずです。
だれだって死ぬとき、人に恨まれ、憎まれたくない。逆に、人を恨み、憎み、死んでいきたくない。だから、先生はすべてを許し、受け入れられたのだと思います。
林さんが書くはずだった寂聴さんの伝記
――最後にお目にかかったのはいつですか。
亡くなる5カ月前の2021年6月です。女性誌の企画で、寂庵で対談しました。「真理子さんに私のことを書いてもらいたい」とお願いされました。
「先生は自分のことを全部書いていらっしゃるから、私が書く必要ないんじゃないですか」と聞くと、「まだ話していないことが、いっぱいあるのよ」とおっしゃいました。
その場で、先生の伝記を連載することが決まりました。「早く取材させてくださいね」と言っていたのですが、お加減が悪くなられ、実現しませんでした。ちゃんと聞いておけばよかったと残念でなりません。
先生は、ほかの人の評伝をあれだけ書かれてきたので、自分が亡くなったあとの評伝が気になっていたはずです。だから、長い付き合いの私に、書いてほしいとおっしゃったと思います。おそらく、私と同じ世代で先生の伝記を書こうと思う作家はいませんよね。
――印象に残っている寂聴さんの言葉は何ですか。
寂聴さんが戦後の日本に及ぼした影響は何か。記事の後半で林さんが語ります。
「作家は死ねば1年で消えて…