太平洋戦争中、沖縄から九州へ疎開する子どもたちを乗せた「対馬丸」が米軍の攻撃で沈没してから22日で81年となった。慰霊碑「小桜の塔」(那覇市)の前で慰霊祭が開かれ、遺族ら約300人が黙禱(もくとう)して犠牲者を悼んだ。
対馬丸は1944年8月21日に那覇を出港。22日夜、鹿児島県・トカラ列島沖で米潜水艦の魚雷を受け沈没した。判明しているだけで1788人が乗船しており、学童784人を含む1484人が死亡した。
軍や警察が当時、撃沈について生存者や遺族らに厳しく口止めしたこともあり、被害の全容は今もわかっていない。
式典では、子どもたちが平和への願いを込めて、大型のチョウ「オオゴマダラ」を空に放った。
生存者の一人で対馬丸記念会代表理事の高良(たから)政勝さん(85)は、「私たちがなすべきことは、犠牲となられた方々の無念を忘れず、戦争の悲惨さと命の大切さを語り継ぐこと」と追悼のことばを述べた。
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また、世界中の戦争で子どもが犠牲になっていることに触れ、「世界から報復の連鎖が断ち切られること、世界の平和は皆の願いです」と訴えた。
新たに5隻の撃沈船展示 全容不明の「海の戦争」研究
太平洋戦争中の1944年8月22日に米軍に沈没させられた学童疎開船「対馬丸」を後世に伝える対馬丸記念館(那覇市)が、戦時中に沖縄周辺で米軍に撃沈された対馬丸以外の民間船5隻を新たに調査し、6月から企画展を開催している。戦後80年が経っても「海の戦争」の全容は分かっておらず、記念館は記憶の掘り起こしに取り組んでいる。
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企画展「海の戦争を忘れない ~戦時沈没船が語るもの~」で展示するのは、1943年3月~45年2月に沖縄近海で沈没した「高千穂丸」「泰仁丸」「福成丸」「南丸」「嘉進丸」の5隻。犠牲者は計900人以上にのぼるとみられるが、これまで一部の資料や新聞報道の記録があるだけで、公的資料は少なく、県内でも知る人は限られていた。
死者数が最多の844人との…