2005年、阪神タイガース「夢のOB交流戦」に参加した(左から)小山正明さん、江本孟紀さん、故・吉田義男さん、当時監督の岡田彰布さん

 18日に亡くなった小山正明さんはテスト入団から史上3位の320勝を積み上げた。「精密機械」「針の穴を通す」と形容された制球力は、その下積み生活のたまものでもあった。

 ひょろっとした長身のテスト生が、いかにプロで生き抜くか。打撃投手の時、少しでも球が外れると先輩から怒られる。徹底的に走り込んで下半身を鍛え、ホームベース上でボール半分を出し入れする制球力を身につけたという。「上半身の投球動作を支える下半身が、生命線」。それが口癖だった。

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 その制球を武器に、エースとして阪神の黄金期を支えた。プロ野球が2リーグ制となってから初めて優勝した1962年。「ザトペック投法」の村山実が全力で投げていくのに対し、小山さんは無駄な力を省いたきれいな投球フォームで打ち取っていく。チーム75勝のうち、2人で計52勝を挙げ、小山さんが27勝。強烈なライバル心で競い合った。

 球が手元で伸びるため打球は…

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