渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆は2007年、与党・自民党と野党第1党・民主党の「大連立政権」の実現に向け動いた人物として知られる。当時、民主党代表だった小沢一郎衆院議員(現・立憲民主党)は19日、記者団の取材に対し「非常に鋭い政治感覚の持ち主だった」と渡辺さんを悼みつつ、「あの時に大連立をやっていれば、もう少し立憲民主党も政党らしい政党に成長できたのではないか」と語った。
大連立構想は民主党が参院で与党を過半数割れに追い込んだ中、当時の福田康夫首相が政権運営に苦慮する中で浮上した。小沢氏は記者団に対し「福田首相から連立の話を持ちかけられた。その仲介役みたいなことをしてくれたのが渡辺さん」とした上で、「(ねじれ国会の政治状況を)打開するには大連立以外ないと感覚的に彼(渡辺さん)は判断したのだろう。たまたま私もそういう判断だった。非常に鋭い政治感覚の持ち主だった」と語った。
また、福田氏との党首会談で協議が進んだことについては「彼の話だから、たぶん自民党もその気になったのだろう」との見方を示した上で、「自民党サイドで彼の言うことを信頼する関係というか、政治感覚があった人物だったということだ」と渡辺氏を評価した。
大連立構想は民主党内の反発で成就せず、民主党は09年の衆院選での大勝で政権を奪取した。ただ、その後は消費増税の是非などをめぐり政権運営は混乱し、12年衆院選で下野する。
小沢氏は「(政権奪取前に)連立した方が民主党の政治家にとって良い勉強になるし、政権を担うにも早道だとボクは判断したので、それ(大連立構想)に乗ろうとした。党内はみんな反対だったけれどね」と振り返った。「あの時に大連立をやっていれば、もう少し(民主党を源流とする)立憲民主党も政党らしい政党に成長できたんじゃないかなと思って、その意味では残念だ」とも語った。
渡辺氏については「非常に鋭い観察力と洞察力を持った人で、一時代の政治記者を代表する優れた人物だった」と評した。死去について「100歳以上、生きると思っていたのに、驚いて、残念に思っている」と語った。
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