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住宅内にある集会所で毎週開かれるカフェ。この日は月に1度のランチで特ににぎわっていた=2024年8月22日、福島県双葉町、大久保泰撮影

 11年も、人が住めなかった町がある。東京電力福島第一原発の事故で、避難指示が長く続いた福島県双葉町だ。今年8月30日で人が再び住めるようになって2年が経ち、町の居住人口はやっと130人余りに。このうち85人が生活する町営の「駅西住宅」を訪ねると、そこにはさまざまな人模様があった。町の課題も垣間見えてくる。

原点は警察官として赴いた津波被災地・奥尻島

 「この先も立ち入り禁止かあ」。双葉町や隣接する浪江町、南相馬市などで駅と病院や商業施設を結ぶバスの運転手古田宣明さん(60)は、バリケードに遭遇するたびそう思う。原発事故から13年たってもなお残る、帰還困難区域の広さに驚く。

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被災地をバスで回る古田宣明さん=2024年8月27日、福島県南相馬市、大久保泰撮影

 昨秋まで、北海道警稚内署に勤務する警察官だった。定年まで2年。「残りの人生は新しい土地で働きたい」。頭に浮かんだのは、神戸、熊本、そして東北。いずれも地震の被災地だ。

 1993年7月12日の午後10時過ぎ。道警の函館方面本部に勤務していた古田さんは、自宅で激しい揺れに見舞われた。北海道南西沖地震。巨大な津波が奥尻島を襲った。1週間分の着替えなどを持ち、チャーターされたフェリーで他の救援隊員とともに島へ向かった。遺体を運んだり、交通整理にあたったりした。

 「いつか被災地のために働き…

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