あの日、2歳だった少女は古希を過ぎた。この69年間のほとんどを、自宅の居間で過ごした。

 丘の上にある県営住宅の一室。南向きの掃き出し窓から、柔らかい春の陽光が差し込む。新緑の山が遠くに見える。

ベッドで横たわる田中実子さんと、見守る義兄の下田良雄さん=2025年2月24日午後0時42分、熊本県水俣市月浦、田中久稔撮影

 居間に置かれた介護ベッドの上に、田中実子(じつこ)さん(71)は横たわっている。両手を握り締め、宙を見つめ、時折、「あー」と声を出す。

 以前はひざ立ちをして、窓の向こうを見ることもあった。2年ほど前、寝たきりに。

自宅の居間で過ごす田中実子さん。この頃はひざ立ちをすることもあった=2021年9月11日午後0時15分、熊本県水俣市月浦、田中久稔撮影

 表情はあまり変わらない。たまに笑顔になるが、その理由はわからない。

 「実子、実子や。どうしたい」

 義兄の下田良雄さん(77)が顔を寄せ、声をかける。返事はない。3歳になる少し前に、話せなくなった。「言葉が出ないのは歯がゆいだろう」

 類例をみない公害病事件。それは、幼い2人の姉妹に表れた「異変」から発覚した。

 実子さんは1953(昭和2…

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