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見つかった書状と馬部隆弘・中京大教授=2024年4月2日午後3時8分、京都市上京区の府庁、日比野容子撮影
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 室町時代、京都府南部の国人(こくじん、地侍)や農民らが、8年に及ぶ住民自治を実現させた「山城国(やましろのくに)一揆」に関する書状124通の写しが見つかった。中京大の馬部(ばべ)隆弘教授(日本中近世史)が9日発表した。ほとんど確認されていなかった一揆の当事者側の史料で、一揆の内部構造や、自治終了後も自衛意識が根強く残ったことがわかる貴重な発見という。

 山城国一揆は1485年、長引く戦乱に耐えかねた国人らが守護の畠山氏を追い出し、「惣国(そうこく)」と呼ばれる組織をつくって93年まで自治を続けた。その内容は隣国の奈良・興福寺大乗院(だいじょういん)の僧による「大乗院寺社雑事(ぞうじ)記」などに記されるが、当事者による資料はほとんどなかった。

 見つかったのは、一揆の中核を担った国人、山城椿井(つばい)家に伝わった書状を江戸後期に書き写し、冊子にしたもの。奈良県平群町教育委員会に未整理状態で保管されていたのを馬部さんが発見し、3年前から調査していた。

 書状には1450~1590年の内容がある。敵の軍勢に攻め込まれそうになると、国人らが緊密に連絡を取って持ち場を話し合ったり、敵方にスパイを送る計画を立てたりした様子などが細かく記され、一揆終結後も惣国が存続していたこともわかった。馬部さんは「『おらが村はおらで守る』という自衛意識は、戦国末期まで残っていた。まとまった数の書状の発見で、山城国一揆に関する研究も一気に進む」と話した。(日比野容子)

 川岡勉・愛媛大名誉教授(日本中世史)の話 日本の地方自治の先駆をなすと言われる山城国一揆の性格や内部構造を考えるうえで、非常に画期的な発見だ。「写し」ではあるものの、確かな価値を有している。様々な論点について研究を飛躍的に前進させ、これまでの研究内容の再考も迫りうる可能性を秘めた超一級の史料だ。

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