2014年、約70年ぶりに島を訪れた。「多楽(たらく)島見えたよ~」。島影が細く見えてくると、ただただ、涙があふれ出てきた。それが自分でも不思議だった。
島には銃を携えたロシア兵がいた。島の周辺には岩かと思うような沈没船が残されたまま。砂浜も狭くなり、自宅も見当たらない。浜には流れ着いたとみられる昆布の山が腐っていた。昔の面影はなかった。
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幼少期、中陣さつ子さん(88)は、春から秋は歯舞群島の多楽島で、冬は富山県で暮らした。11人きょうだいの末っ子。兄2人は戦死していた。
島は昆布漁が盛況で、父の漁船に乗った10人ほどの漁師が戻ってくると、浜には昆布が一面に並ぶ。子どもたちも作業を手伝った。身長よりもはるかに長い昆布の根元を持ち、広げてのばす。乾いた昆布は折り返して束にして、根室から来た船に積んだ。
1945年は異例だった。祖母が亡くなったため、父だけが一足先に多楽島へ。だが、夏のある日、島にいるはずの父が急に家に帰ってきた。
「ソ連に追われて逃げてきた」
船の発動機にぬれたむしろを…