痛みに耐える方法探る
8月24日未明、「第1回道南ものがたりジャーニーラン」(210キロ、スポーツエイド・ジャパン主催)に出走した選手らは、ヘッドライトやハンドライトで日本海追分ソーランライン(国道228号)の暗い路面を照らしながら進んでいた。
14~15キロ付近で路面の穴に左足をとられた際、骨が折れたような音を左足首から聞いてしまった私は、着地に細心の注意を払い、痛みに耐えながら進むしかなかった。
チェックポイント(CP)1のサラキ岬(木古内町、30.4キロ)には午前3時8分に到着。何とかして、もうしばらく痛みに耐え抜く方法はないだろうか、と悩んだ。
この日、私の所属する中標津十二楽走が、CP5の白神岬(85.9キロ、松前町)から少し先で、私設エイドを出す予定になっていた。スタッフは私の妻とその両親。私設エイドに立ち寄ってくれたすべての選手に、飲料や簡単な食べ物を提供する計画だった。
その妻が私設エイドを開く場所へ車で向かう途中に、痛みを緩和するアイテムを渡してくれたら、と私は考えた。
午前4時5分、スマホから妻へメッセージを送った。
「14キロ付近で、左足が路面の穴にはまり、足首をひどくひねりました。痛み止めを飲みましたが、痛くてキロ9分がやっとです。今は歩いています。足首を固めるテープがあれば持ってきてください」
妻からの返信はなく、午前4時34分、CP2の道の駅「みそぎの郷きこない」(木古内町、39.5キロ)に着いた。
つらい時こそ笑顔だ
靴下を脱いで左足の状態を確認すると、甲の左半分が紫色になっていたが、想像していたほどの腫れはなかった。
このため「やっぱり骨は折れていないんじゃないか」と都合の良い方向に思い込み始めた。ただ、路面に足が着いていなくても痛みは確実に増してきていた。
CPに併設されたエイドステーション(AS)でラーメンをいただき出発。妻に「木古内の道の駅を出発します。足、とても痛いですが、腫れはひどくなかったです」とメッセージを送ると、すぐに電話がかかってきた。
妻には「車で移動中に私を見つけたら、消炎・鎮痛効果のある湿布を渡して欲しい」と頼んだ。
伝統神事の「寒中みそぎ」で知られる「みそぎ浜」のそばを通ると、ちょうど鳥居に朝日が差し込んできた。晴天。気温がぐんぐん上昇する。
48キロ付近の知内町内のコンビニで、氷、水、アイスを買って体を冷やす。暑さは気になるものの、左足以外は調子がいい。それがとても悔しかった。
知内町の市街地を過ぎると、だんだん上り坂になった。ちょっとでも走ると、痛みで目尻に涙が浮かんでくる。でも、まったく走れないわけではないから、泣きながら走る。
自分に言い聞かせた。
「つらい時こそ笑顔になろう」
「人から見られている時は笑顔でいよう」
でも、なかなか実行できない。サングラスで目元が隠れていて良かった。
左足の骨が折れているにもかかわず、レースを続行する筆者。骨が折れていることを認めてしまうと、心も折れてしまう。だから、筆者は「骨は折れてはいない」と強く信じていました。しかし、やがて痛みはその気持ちを上回ります。骨折から70キロ以上も進み続けられた理由とは……。
CP3の道の駅「しりうち」…