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 広島市の松井一実市長は11日の会見で、今年8月6日の平和記念式典への「案内状」を、外交関係のある全ての国・地域に送ると明らかにした。ウクライナ戦争以降、招いていないロシアとベラルーシにも送るという。3年前に招待をやめるにあたり外務省の意向も「参考にした」という市長が会見で語った内容とは。

 「ダブルスタンダードじゃないかという議論が様々起こったので、(式典参列の)要請方法を改める、すなわち式典の原点に立ち返るということをやろうと考えた」

 広島市は2022年のウクライナ戦争開戦以降、ロシアと同盟国ベラルーシを式典に招待しない一方で、24年にはパレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを例年通り招待した。そのことで、「ダブルスタンダードではないか」という批判が起こった。

 松井市長は会見でこの時期を振り返り、ダブルスタンダードを否定しても「いつまでも理解していただけない」こともあり、招待方法を見直したと説明した。

 そもそも市が外国代表を招くようになったきっかけは、1998年にあったインドとパキスタンの核実験だった。その年の式典には両国を含む核保有国の駐日大使に参列を要請。その後、対象国を拡大し、2006年以降は日本政府が国家承認をしている全ての国を招待するようになった。

 その原則が崩れたのは、ロシアのウクライナ侵攻が始まった22年。市は当初、ロシアを式典に招待する予定だったが、最終的に見送った。外務省から「広島市が令和4年平和記念式典にロシア大統領、駐日ロシア大使及び駐日ベラルーシ大使を招待すれば、日本政府の姿勢について誤解を招くことになり、適当でないと考えます」との見解が示されていた。

 これについて記者が「悔しさ、忸怩(じくじ)たる思いはなかったか」と問うと、「忸怩たる思いは(日本政府が)核兵器禁止条約(締約国会議)のオブザーバー参加(をしなかったこと)の方が大きい」と話し、市の主張が受け入れられなかった別の問題に話題を移した。

 「市の対応は最善だったのか」との質問にも正面から答えずに、22年当時の駐日ロシア大使との会話を説明した。

 松井市長が大使に「過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて(式典を)やりたい」と伝えると、大使は「あなたは原爆を落とした米国の責任を問わずに、そのようなことを言うのか」という趣旨の発言を繰り返したという。

 松井市長は「『式典でそういうことを言う話ではないでしょう』と申し上げて、(招待しないことを)自分で判断した」と述べ、被爆者と同じ思いを他の誰にもさせないという「ヒロシマの心」が理解されなかったことがその理由だったと述べた。

 ロシアとベラルーシを招待しなかった3年間は、広島県選出の岸田文雄衆院議員の首相在任期間と重なる。23年にはG7サミットが広島市で開かれ、ウクライナのゼレンスキー大統領が電撃訪問。同国への武器供与も議論された。広島の冠をつけた「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」には核抑止政策を正当化する理由が明記された。

 岸田氏が首相であったことが、市の判断に影響を与えていないかという質問に対して松井市長は「国際平和文化都市をめざす広島としての判断で、一切の揺るぎがない」と答え、否定した。

 ただ、外務省の意向は無関係かという質問には「関係なくはない。参考にしてます」と述べた。

解説 ヒロシマの心、広める好機

 国や民族を問わず参列した全ての人が、大量破壊兵器による惨劇を二度と繰り返してはならないと誓う場が、被爆地の平和式典である。そこに求められるのは、時の政治や国際情勢に左右されない人類的な視点だ。

 だが、ロシアのウクライナ侵攻を機に、ロシアとベラルーシを招待しないことでその原則は崩れた。背景には、ロシアへの経済制裁などで米欧と足並みをそろえる日本政府の意向を無視できず、式典の混乱を避けたいという市の緊急避難的な判断が働いた側面もある。

 平和式典をめぐっては昨年、長崎市がガザ攻撃を理由にイスラエルの招待を見合わせたことで米欧の主要6カ国が大使の出席を見送った。ウクライナ戦争と構図が違うとはいえ、いずれも被爆地の判断が国際情勢に影響された形だ。今回、こうした状況に巻き込まれない枠組みをつくり、あらゆる国に被爆の実相を知ってもらうという、本来あるべき全人類的な原点に立ち返ったといえる。

 米ロの重要な核軍縮条約が先細り、国際的に核抑止への依存が強まっている。核使用に歯止めをかけ、非核化に向かうためには、核大国ロシアとの対話と協力も不可欠だ。あらゆる国の核、あらゆる戦争に反対する非核・非戦の砦(とりで)となるのがヒロシマの心である。被爆80年の節目に、その心を世界の国々に想起してもらう好機ともなる。

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