(第106回全国高校野球選手権大会準々決勝 神村学園8―2大社)
4強入りを目指した大社(たいしゃ)(島根)は神村学園(鹿児島)に準々決勝で敗れた。毎試合、紫色に染まったアルプススタンドの大声援に後押しされ、32年ぶり出場で創部初の「甲子園3勝」をあげた県立校は鮮烈な印象を残し、グラウンドを去った。
大社の一塁側アルプス席は、チームカラーの紫色でぎっしりと埋まり、地鳴りのような応援の声が球場全体に響き渡った。敗戦が決まっても、選手たちへの拍手は鳴りやまなかった。
吉川めぐみ校長によると、準々決勝の入場券は数百枚を18日朝9時から学校で販売する予定だった。だが、販売前に枚数を上回るほどの人数が並んでいたため、販売開始を1時間以上前倒しした。17日の夜9時から並び始める人もいたという。
海を渡って隠岐からも 教え子へ「うれしいのひと言」
ともに離島・隠岐出身の4番の高梨壱盛選手(3年)と九回に代打で出場した安部莉生(りお)選手(同)の少年野球チームで監督を務めていた佐藤靖則さん(49)は、今大会初めて観戦に訪れた。
2人は当時バッテリーを組み、ともに中軸を打っていた。佐藤さんは「地元の隠岐高校で甲子園に出てほしい」と期待していたが、隠岐が部員不足の窮地にあったこともあり、2人は同じ県立の大社を選んだ。
佐藤さん自身も隠岐の2年生エースとして島根大会の決勝まで進んだが涙をのんだ。3年生の夏は2回戦で敗れたが、その年に甲子園に出場したのが大社だった。ただ大社もその時を最後に甲子園から遠ざかっていた。
当初は複雑な思いもあったという佐藤さん。だが、2人が甲子園ではつらつとプレーする姿を見ていると、そんな気持ちはどこかへ消えていた。「小学生のときのまま楽しそうにやってる姿を見てうれしいの一言。親元を離れてよくやった」と目頭をおさえた。
エースの姉「家で寝転がってゲームの弟と別人」
「優太、行け!」
エース馬庭優太投手(3年)の姉・歩未さん(20)も最後まで声援を届け続けた。
ここまで3試合を完投した馬庭投手が五回途中で登板すると、メガホンを両手で握りしめ、祈るように手を組んだ。点差が離れても、アウトを一つ取るたびに大きく歓声を上げた。
甲子園出場は姉弟の悲願だった。歩未さんも大社でマネジャーを務め、3年の夏は島根大会決勝で涙をのんだ。その試合を馬庭投手は観戦していた。
甲子園のマウンド上の弟は気迫に満ちていて、家で寝転がってゲームしていた弟とは別人のように見えた。
「甲子園に連れて来てくれただけで感謝なのに、3勝も見せてくれた。投げきってくれてありがとう、よくやったねと伝えたい」。試合後、歩未さんは目に涙を浮かべていた。(黒田陸離、近藤咲子)
各選手からの感謝の言葉
球場を包む大声援に選手も応えた。
一回。二塁への盗塁を決め、先取点の本塁を踏んだのは藤原佑選手(3年)だった。早稲田実との3回戦では失点につながる失策もあったが、立て直した。「応援がチームを見守ってくれていて、思い切り楽しくできました」
高橋翔和選手(3年)は四回、大量失点につながりかねない場面で一、二塁間のゴロに飛びつき好捕した。「1回戦から地域の人、保護者、スタンドの一般の方にも声援をもらって助けられました」と感謝した。
エース馬庭優太投手(3年)はベンチスタートだった。五回から登板したが、七回に4連打を浴びるなどし計5失点。マウンドに上がったときには一、二を争う大声援を受けた。「こういう舞台で試合ができて、すごくうれしかったです」と感無量の面持ちだった。
相手の神村学園はピンチを切り抜けるたびに拳を固め、雄たけびをあげるなど必死に向かってきた。昨夏4強の強豪と真っ向勝負した大社。主将の石原勇翔選手(3年)は「応援を力に変えてプレーできた場面がたくさんあった。感謝の気持ちでいっぱい」と、晴れやかな表情で振り返った。(岡田健)