朴明子さんが検査や治療を受けた「南東北がん陽子線治療センター」=福島県郡山市、本人提供

それぞれの最終楽章 余命1年と言われて(9)

看護師・朴明子さん

 2018年6月に「がんで余命1年」と宣告された私ですが、治療の成果や周囲の支えもあり、大勢の前で自分自身の体験を話したり、患者会の活動に参加したり、大変ながらも充実した日々を過ごしていました。23年4月からは、大阪公立大学大学院の看護学研究科の博士前期課程にも入学し、がん看護学の研究も始めていました。

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 でも、宣告後の生存期間が6年を超えた24年の秋ごろから、がんのいろいろな後遺障害が広がってきました。上あごは壊死(えし)を起こし、痛みが強く、徐々にですが、食べにくく、また、しゃべりにくくなってきました。脳壊死と脳浮腫が見られ、頭痛や記憶障害、ふらつきも増してきました。嗅覚(きゅうかく)の消失や聴覚・味覚障害はひどくなってきました。

 しかし、25年1月に日本病院薬剤師会近畿学術大会で講演させていただくことになり、その準備などで気が張った状態が続きました。貴重な機会であった講演も無事終わり、また前を向いて歩こうという気持ちになっていたとき、ショッキングな出来事がありました。大阪市内のクリニックでの定期受診で、「がんの再発・転移の可能性が出てきた」と言われたのです。以前治療を受けた、福島県郡山市の「南東北がん陽子線治療センター」に検査入院することになりました。日付は3月5~7日と決まりました。

 神経のまひによる左目の斜視…

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