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榎本空さん=本人提供

Re:Ron特集「考えてみよう、戦争のこと」 文筆家・榎本空さん

 榎本さんは15歳まで沖縄北部に浮かぶ離島、伊江島で育ちました。アメリカで黒人神学や人類学を学んだ後、研究対象として伊江島に「帰郷」しました。戦後80年のいま、子どもたちと一緒に考えたい「言葉」をつづってもらいました。

 ぼくはこの手紙を今、青々とした海をむこうに見ながら書いている。もう20年近くも見続けてきたはずの海だ。それでもぼくは、80年前、軍艦にうめつくされたこの海が真っ黒に変わってしまったというあのときの黒を、正確に想像するすべを持っていないのだけれど。

 その黒は、明かりを落としたばかりの寝室にちょうどあらわれる、あまりに底なしのように思えるものだから子どもたちがまぶたを閉じるのを怖がるような暗闇にも似た、黒だったのだろうか。

 こうしてぼくの想像力はまたも失敗してしまう。それでいいのかもしれないとも思う。

 ぼくがいる伊江島という島も、80年前に戦争があって、生と死を分ける線はこれ以上ないほどにか細く、無差別的だった。4月16日に米軍が上陸してから6日間続いた地上戦で、島に残った住民のほぼ2人に1人が殺された。生き残った一握りの人たちは、島から出され、2年間の収容所生活を耐えなければならなかった。戦争から2年後、ようやく帰ってきた島に、今度は基地が建設されていった。

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沖縄本島北部を出発したフェリーから望む伊江島=2025年5月13日、沖縄・伊江島沖

 戦争体験者に話を聞いてみると、たいていこう言われる。「体験した人にしかわからない」。それは聞き取りが始まる前に警告のように発せられる一言かもしれないし、長く曲がりくねった、幾重もの弧を描くような語りの最後につぶやかれる諦めを含んだ一言かもしれない。

 いずれにせよ、ぼくにはそんな一言が、この島の人々が経験してきた暗闇を何か別の言葉によって抽象化されることを拒否するためのバリケードのように聞こえた。どんな言葉もあのときの暗闇を正確に表現することはできない。ありったけの地獄という言葉も、「沖縄戦の縮図」という言葉でさえも。

 でもぼくはだんだんと、体験者自身も言葉に詰まってしまうような瞬間があることを理解するようになった。いや、それだけではなく、この小さな島を80年にわたって包んできた沈黙まじりの特殊な記憶の形が、いつまでも終わらない戦争の余生を生きる島の人々を守ってきたということを。

 最悪のことに見合うような言葉はなかった。ある黒人作家が奴隷の経験について書いたように、人から人へと伝えてあげられるような物語ではなかったのだ。特に子や孫へは。そしてこの海に囲まれた島にあっては、あらゆる人々が子や孫のようだった。

 だから代わりに犬や牛が話を聞いた。血のように真っ赤なブッソウゲの花が話し相手になった。ガラクタの山に記憶が託された。ぼくがこの島の色々なことを学んでいたおばあさんは、あるとき階段でつまずいて、そのまま亡くなってしまった。彼女の戦争体験についてその孫が聞いていたのは、たった一言だったという。「戦争はいけないよ」。それ以上のことは何もわからなかった。

 そう、この手紙は何よりもまず、そんな80年の記憶の形のために。語られた物語だけでなく、語られなかった物語のために。そんな沈黙が誰かの命を救ったかもしれないということのために。

 ぼくは想像することに失敗し…

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