今から88年前の1937年7月7日に起きた盧溝橋事件。当初の偶発的で小さな衝突から日中戦争へと発展し、4年後の太平洋戦争へとつながっていきました。発生時はまだ「戦争ムード」に覆われてはいなかった日本社会で、なぜ国民は軍事衝突へと流されてしまったのか――。著書「詭弁社会」を昨春刊行した歴史研究家の山崎雅弘さんは、当時の日本のトップが「詭弁」(きべん、論理のすり替え)を使って戦争を正当化したことが大きいと指摘します。戦火や分断がやまない今だからこそ、権力者らの詭弁に注意すべきだと警鐘を鳴らしています。
――当時、日本が戦争に突き進んだ社会背景について、どう見ていますか。
現在とは異なる、天皇と軍部が過剰に権威化された当時の政治状況など、いくつかの点を指摘できます。
ですが大きかったのは、現実の直視や論理的な思考から逃げ、間違った言動を正しいかのように見せたり、ごまかしたりする「詭弁」が多用されたことだと考えています。
盧溝橋事件の発端は小さな銃撃戦だったのですが、日本から中国に兵力を増派したのが一つの引き金となり、全面的な戦争に発展しました。その増派にあたって、当時の近衛文麿首相(1891~1945)は国民に大義を説明しています。「支那(中国)側の態度は長年の排日・侮日が最近特に甚だしくなってきました」「反省を促すために派兵し、平和的交渉を進める方針で相当の兵力を出すことは、やむを得ぬことであります」と、自衛権の発動が必要だと強調しました。
実際は、交戦が起きても仕方…