A-Stories 武器輸出拡大の舞台裏 緊迫の自公交渉

 2024年2月、東京・永田町の衆院議員会館。公明党副代表の北側一雄の部屋を、ある自民党政治家が訪れた。

 「私は安全保障に詳しくない。あなたが政府の言うことに耳を傾けて物事を進めて欲しい」

 そう謙虚な物腰で北側に語りかけたのは、約2カ月前に政調会長に就任したばかりの渡海紀三朗。1986年の衆院選で初当選した当選10回のベテランで、1990年代は武村正義や鳩山由紀夫らとともに「新党さきがけ」を結成し、政治改革の旗手の一人として注目された人物だ。ただ、自民復帰後は2007年に文部科学相として初入閣した以外は、スポットライトの当たる表舞台からは長らく遠のいていた。

 2024年3月に決定された武器輸出規制の大幅緩和。決定に至るまでの自公交渉は予想以上に難航しました。戦後安保政策大転換の舞台裏で一体何が起きていたのか、当事者たちの証言を交え、徹底検証します。

行き詰まった交渉

 武器輸出拡大を目指す岸田政権は、輸出に制限をかける「防衛装備移転三原則」と、その詳細な輸出ルールを定めた「運用指針」の見直しを進めていた。23年4月に自民、公明両党の安全保障に詳しい議員が「実務者協議」(WT)を立ち上げ交渉を始めた。

 だが、武器輸出を積極的に拡大したい政府・自民と、慎重な公明の交渉は行き詰まった。特に公明幹部らには、実務作業を担った国家安全保障局(NSS)官僚や自民が自分たちの考え方を十分に取り入れぬまま前に進めようとしていると不満があった。

 渡海の政調会長就任は、前任…

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