1944年5月、太平洋戦争が激化する中、岩手県一関市で、サーカス団のライオン4頭が群衆の前で射殺された。警察の命令で、戦意高揚を狙ったものだとされる。戦後80年が経とうとする今でも、地元ではライオンの最期を忘れず、戦時中に軍の命令と良心のはざまで揺れた人々の行動から、学ぼうとする取り組みが続けられている。
射殺されたのは、一関市で興行中だった「黒須曲馬団」が所有していた4頭のライオン。政府は当時、「空襲で猛獣が逃げ出せば危険」という理由で、全国の動物園やサーカス団に猛獣の処分を命じた。だが、多くの市民が見守る中で射殺したのは異例だったという。
この出来事から33年後、命…