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1941年10月、高知県・宿毛沖で性能試験をする戦艦大和=呉市海事歴史科学館大和ミュージアム提供
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 高知市中心部から西に車で約3時間。愛媛・高知県境の宿毛(すくも)湾に面した宇須々木(うすすき)漁港(宿毛市)の周辺には、旧日本海軍宿毛基地の遺構が数多く残る。

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 漁港近くの小道を進むと、雑草が絡まった弾薬庫のコンクリート壁が現れた。

 その先の山腹には燃料を保管する貯油庫のトンネルが口を開ける。

 水上機を海に上げ下ろししたスロープはほぼ当時のままの姿をとどめ、魚雷を整備・保管するための横穴の壕(ごう)には、魚雷を掛けたであろうフックが残っていた。

 「これだけきれいに残っていて、79年前をイメージしやすい戦争遺構はなかなかない。コンクリートは分厚く、石材もいいものばかりです」

 案内してくれた市立宿毛歴史館の矢木伸欣館長(53)は話した。

 宿毛とアジア太平洋戦争との関わりはこれだけではない。

 世界最大の戦艦とされた「大和」が航行試験を繰り返したのは宿毛沖だった。その姿をとらえた貴重な写真は、8月になると様々なメディアに登場する。

 連合艦隊司令長官の山本五十六(いそろく)が、真珠湾攻撃を指揮する数カ月前に宿毛に上陸し、部下の幕僚らとふんどし姿で川に入り鮎捕りに興じた逸話もある。

 ただ、敗戦後、宿毛には他の海軍基地のように自衛隊の施設が置かれることはなく、遺構は朽ちるがままになっていた。

 「10年ほど前まで旧軍人が懐かしさから訪ねて来ることもありましたが、今はそれもなくなりました」と矢木館長は話す。

特定利用港湾指定が呼び起こした記憶

 地元でも旧日本海軍とのつな…

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