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沖縄県知事公室長として平和の礎建設を担当した高山朝光さん=2024年2月22日午後2時20分、那覇市、岡田玄撮影

 沖縄県糸満市にある「平和の礎(いしじ)」。沖縄戦の全戦没者の名を刻むことにこだわり、つくられた。その理由とは。そして、人間にとって名前とは何なのか。建設に携わった元沖縄県知事公室長の高山朝光さんに聞いた。

  • 名字も自分の名前、失いたくない 夫婦別姓の議論で軽んじられる本質

 1992年から沖縄県の「平和の礎(いしじ)」建設を担当しました。礎は「いしずえ」の沖縄の読み方です。鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員されながらも、くしくも生き残った大田昌秀知事の公約の一つで、戦争終結50年の95年に完成させる計画でした。

 沖縄戦は、私が10歳のころでした。沖縄本島北部で、撤退する日本軍の後を追って山を逃げ回る中で、多くの遺体を目にしました。どこの誰かなどわかるはずもない、名もなき遺体です。弾が撃ち込まれ、顔さえわからない日本兵の遺体もありました。

記録されなかった戦没者たち

 遺骨もない遺族もいます。沖縄には各地に慰霊碑があります。そこに刻まれた名前を、遺族が指先でなぞる姿を、私たちは見てきました。まるで本人がそこにいるかのように。

 礎には、敵も味方も関係なく沖縄戦の全戦没者名を刻む。その名を永久に残し、沖縄戦を風化させず、平和を世界に発信する――それが目的でした。

 問題は戦没者名の確定でした…

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