早稲田実業高時代の清宮幸太郎(右)も多摩市一本杉球場で試合をした=2015年9月

 1985年1月19日。多摩市一本杉公園野球場(東京都多摩市)は、熱気に包まれていた。

 プロ野球選手だった江夏豊が米国に挑戦する前に日本球界での「引退式」が行われた。阪神時代の背番号「28」をつけてマウンドに立つ江夏に対し、山本浩二、落合博満らが次々と打席に立った。

 1万人収容の球場は、立ち見客も出るほどの大盛況だった。

 都高校野球連盟元理事の執印(しゅういん)泰幸(77)は球場のそばに当時あった都立南野高(現在は廃校)で、その時の異様な雰囲気を体験した。

 「人であふれかえっていた。少年野球の子どもたちが多かったけど、ものすごい歓声だった。球場にこんなに人が入るのは後にも先にも、この時だけなんじゃないかな」

 球場の入り口付近には、江夏が植樹したサザンカの木が今もある。江夏は後の朝日新聞東京版の紙面で「いい思い出を作ってもらった球場」と語っている。

 球場にはその日参加した往年の名選手たちのサイン色紙や、人で埋め尽くされた球場の写真が残っていた。伝説は、いまも語り継がれている。

 球場は82年に開場。ナイター照明を完備し、プロ野球のイースタン・リーグ(2軍)の試合が行われていた時期もあった。都高野連では、89年から公式戦で使用している。

 執印は90年から2016年まで球場主任を務めた。グラウンドは水はけが悪く、雨が降ればグラウンド整備だけで2、3時間はかかった。

 「グラウンドに穴をあけて、バケツに水をためて。雨は苦労したね」と目を細める。監督として、球場主任として。「監督としては、入りたくなかったね」と笑う。「ベンチは狭くて、真夏は暑くてしょうがない。更衣室もないし……」。

 でも、球場主任として見る一本杉は、違った。「自然の中にある。緑が多くて夏は日陰があって、いい球場だな、と。春にはサクラが咲いて、秋は紅葉。球場で四季を感じられる。愛すべき球場。いつまでもみんなが楽しめるグラウンドであってほしいね」。通い慣れた球場は、第二のふるさとだ。

「お世話になったグラウンドだから」

 球場への恩返しの気持ちで、働く人もいる。

 球場の指定管理業者として運営管理を行っている責任者の小磯和哉(29)は、東村山高野球部出身。高校時代に一度だけ、一本杉で公式戦を戦ったことがある。

 2年生だった2013年9月15日、秋季都大会の1次予選。共栄学園高に2―3で敗れたが、「センター前(ヒット)を打ったんです。理想的なバッティングができた。実は中学の公式戦でも、一本杉で同じようなセンター前を打っていて。ここのグラウンドに来ると、調子がでるなあって」

 多摩市で生まれ育ち、小さいころから慣れ親しんだ。「当時はここで働くなんて思ってもみなかったから、うれしいものですね。戻ってきたな、って」

 球場の老朽化は進む。手書きのスコアボードも、都内の高校野球の会場としてはここだけ。22年には、小磯ともう1人のスタッフで、フェンスをペンキで塗り直した。

 業者に頼むこともできたが、自分の手で、丁寧に。1カ月半かけて、きれいな緑色になった。「できるだけ自分の手で残してみたいと思って。お世話になったグラウンドだから」。これからも、市民から愛されるグラウンドを守りたい。そう願いをこめて。

 都高野連常務理事の福島靖(53)は17年から執印から球場主任を引き継いだ。

 多摩市出身。中学時代、プロ野球のイースタン・リーグの試合を、友達と自転車をこいで見に行ったこともある。軟式野球の準決勝、決勝の舞台で、少年たちにとってあこがれの場所でもあった。

 「広くて、立派な球場だった。外野は芝生で、スコアボードも大きい。僕にとっては『聖地』。あの立派な球場でプレーしたいとずっと思っていた」

 中学時代には実際に選手としてもグラウンドに立った。不思議な縁でつながり、今でもそのグラウンドに立ち続けている。愛着がわかないはずがない。手書きのスコアボードも、緑に囲まれた球場も、アットホームな雰囲気も――。

清宮幸太郎もプレー

 伝説の引退試合が行われた球場は、高校野球の会場となり、少年野球から大学野球、草野球でも使われる、あらゆる「選手」を受け入れてきた。

 清宮幸太郎(日本ハム)も、早稲田実高時代にプレーした。

 1、2年の秋の1次予選。たくさんの客が入ることが予想されるため、会場を一本杉に変更。1次予選では異例の外野席を開放し、ベンチからバスに乗るまでファンに見えないように直接移動できるようにする「特別待遇」だったという。

 最近では、五輪3大会でメダルを獲得したソフトボール界のレジェンド・上野由岐子も、公式戦で一本杉のマウンドに立った。

 福島は言う。

 「古い球場だけど、みんなが大切にしているところがいい。今後、姿形が変わっても大切にして、みんなが野球をできる場所であってほしい」

=敬称略

多摩市一本杉公園野球場

 1982年開場。東京都多摩市南野2丁目、一本杉公園内にある。両翼91メートル、中堅120メートル。収容1万人。京王相模原線、小田急多摩線の多摩センター駅から、永山駅行きなど豊ケ丘4丁目経由のバスで「恵泉女学園大学入口」。

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