爆心地公園の周辺から掘り出された品について、児童に説明する竹下芙美さん=2025年3月6日午前10時44分、長崎市銭座町、榧場勇太撮影

 「最初は手袋をしてスコップで掘っていました。だけど、50年も土の中に埋まってたから、人の骨なのか土なのか分からない。手袋を外して手で掘りました」

 長崎市の被爆者、竹下芙美さん(83)は3月6日、母校の銭座(ぜんざ)小学校の5年生の教室で、児童たちに少し早口で興奮気味に語りかけた。

 1996年4月。被爆50年の事業で整備が進められていた長崎市松山町の爆心地公園の工事現場で、人骨とみられる小さな骨片を見つけた。

 市民団体「平和公園の被爆遺構を保存する会」が被爆がわらなどを探そうと現場を訪れた時のことだ。長崎市によると一帯は被爆前に民家などが立ち並んでいた。

爆心地公園の周辺から掘り出された、陶器のかけらや靴の底、仏具など=2025年3月6日午前10時40分、長崎市銭座町、榧場勇太撮影

 土を掘り返した時の感覚が今でも手に残っている。

 「手はもう傷だらけです。爪が剝がれるし。それより早く、この子たちを助けたい。手が痛いとか言ってられない。涙がぼろぼろ出てくる」

「女の子かな」 絵本として出版

 付近に赤や黄色のボタンが埋…

共有
Exit mobile version