雲一つない青空が突如黒煙に覆われ、街はあっという間に無残ながれきへと変わった――。
第2次世界大戦終戦間際の1945年6月10日朝、軍需工業地帯だった茨城県日立市は大規模な空襲に見舞われた。
約30分間、100機以上襲来したとされる米軍のB29爆撃機から、「1トン爆弾」が806発にわたり集中投下された。日立製作所の工場では634人が殉職。隣接地帯を合わせると約1200人が死亡した、とされている。
同社日立事業所では、毎年6月10日を「戦災の日」として全従業員が黙禱(もくとう)をささげるとともに、幹部らが事業所内の防空壕(ごう)跡に建てられた「殉難の碑」を訪れるなどしている。
日立市長「平和で豊かな社会の実現進める」
「私自身も日立市で生まれ育…