本丸が琵琶湖に突き出していたとされる明智光秀の居城・坂本城跡(大津市)で、本丸推定地の湖中から石群や礫(れき)群が見つかった。大津市と京都橘大が発表した。突堤状の船の着岸施設や波よけだった可能性があり、市や大学は坂本城の琵琶湖側の復元につながると期待している。
坂本城は、1571年に比叡山を焼き打ちした織田信長が光秀に築城させた。本丸が琵琶湖に突き出した水城で、二の丸、三の丸からなっていたとされる。地上の痕跡が見つかっておらず、絵図も確認されていないため、幻の城と呼ばれる。
京都橘大は2022~24年度(23年度から市と共同)、琵琶湖の水位が下がったときに姿を現し、本丸の石垣と思われる湖中石垣を中心とした約5300平方メートルを水中調査した。南健太郎准教授(水中考古学)が学生らとダイビングやシュノーケリングをして調べた。
その結果、湖中石垣の北側と南側で石群や礫群が見つかった。石群の石の大きさは最大約80センチ。湖中石垣の南北の延長線上に位置していた。礫群は湖岸近くに多く、沖側に張り出している部分もあった。16世紀のものとみられる陶磁器の破片なども見つかった。
南准教授は「初めて水中で湖中石垣以外の石製構造物とみられる石群や礫群が確認された。坂本城の琵琶湖側の施設の復元につながっていく」と話す。
坂本城跡をめぐっては、市が24年2月、三の丸の石垣と外堀とみられる遺構を確認したと発表した。今年2月には文部科学相に国の史跡指定に向けた意見具申をした。市は県とも協議しながら京都橘大との共同調査を続けるという。