「お別れの会にもうかがえなくて、まだきちんとお別れができていないんです」と話す、なかにしあかねさん=2024年8月14日、東京都千代田区、魚住ゆかり撮影

 20代で遭った事故で首から下の自由を失いながら、詩画作家・星野富弘さんは、口にくわえた筆で花を描き、詩を作り続けた。その詩は多くの人の心をとらえ、何人もの作曲家の手で多くの歌になった。

 作曲家なかにしあかねさん(60)も、札幌市で全国大会が開かれたばかりの全日本おかあさんコーラス大会で愛唱される「今日もひとつ」など、星野さんの詩から約40曲を書き上げた。4月に78歳で亡くなった星野さんとの思い出を聞いた。

 ――星野富弘さんの詩画との出会いはいつでしたか。

 父(作曲家の中西覚さん)の書庫で、最初の詩画集「四季抄 風の旅」を手に取りました。東京芸術大で作曲を学んでいたころ、富弘さんの詩画を好きな気持ちが高じ、曲をつけたのが最初です。それから約四半世紀、合唱曲だけで約30曲、歌曲も含めると約40曲作りました。

 音をつけたすべての詩や詩人…

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