現場へ! 朝鮮通信使にかける夢(1)
朝鮮王朝から江戸幕府に派遣された外交使節団・朝鮮通信使。その往来で築いた友好と親善の歴史に学べないか――。韓国のソウル歴史博物館で通信使の書画などを一堂に展示する展覧会が4月から6月まで開かれた。
国交正常化60周年に合わせて、日韓両国の関係者が尽力して実現した通信使特別展「心のつきあい、余韻が波のように」。ユネスコ「世界の記憶」(2017年)に登録された日韓双方の主要作品を含む128点が集まった。慰安婦や徴用工問題への対応で、日韓関係がこじれるなか、首都ソウルでの通信使展開催は実に39年ぶりだった。
会場に入ってすぐの展示室に、長いあごひげをたくわえた僧侶の肖像画があった。松雲大師惟政(ユジョン)(1543~1610)。豊臣秀吉が朝鮮を侵略した文禄・慶長の役(1592~98、壬辰(じんしん)戦争)の際、義僧兵を組織して戦った朝鮮側の英雄だ。
徳川家康との会談に臨んだ松雲大師
大師は1605年、京都・伏見城で将軍徳川家康との会談に臨んだ。国交の回復に向け、侵略を謝罪する日本側からの国書と、連行された陶工や女性、子どもら被虜人(ひりょにん)と呼ばれる捕虜の帰還を要求した。数万人とされる被虜人のうち、1300人以上を連れて帰国し、外交交流の再開につながった。残った陶工らは、有田や唐津などで陶磁器産業の発展に寄与した。
江戸時代の通信使はその後、1607年から1811年まで計12回派遣されるが、最初の3回は、国書の回答と被虜人の帰還を求める「回答兼刷還(さっかん)使」と呼ばれた。「不倶戴天(ふぐたいてん)」の関係だった日本との交流が本格的に花開くのは、4回目以降である。
会場には、通信使の中継地対…