東京タワーの明かりが目の前に広がる。道路の向こうは麻布十番。六本木にも歩いていける距離にありながら、夜になればひっそりと静まりかえる。「隠れ家」と呼ばれる港区東麻布かいわいを巡った。

「金の卵」を励ますため始まった「かかしまつり」

 地下鉄大江戸線・赤羽橋駅を出て麻布十番方面に向かうと、商店街の入り口が見えてくる。約300メートルにわたって商店が並ぶ「麻布いーすと通り」だ。10月には5年ぶりに「かかしまつり」が開かれた。子どもたちが作ったかかしが並び、屋台に行列ができた。

東麻布の商店街「麻布いーすと通り」では10月、5年ぶりにかかしまつりが開かれた。高層マンションの上に東京タワーの明かりが見えていた=2024年10月4日午後5時30分、東京都港区東麻布1丁目、岩波精撮影

 まつりは1970年代に始まった。上京してきた若者を励まし、ふるさとを思い出してもらおうと店主らが企画したという。最近はコロナ禍で中止が続いていた。商店会長の水野健さん(49)は「伝統をつなげてよかった」と話す。

 ただ、昭和の最盛期には90軒以上あったという店は減る一方。特にここ数年はコロナ禍に加え、消費税の新しい経理方式「インボイス制度」が昨秋導入された影響が大きかったという。

家族で守ってきた店、閉じると決めた

 商店街のほぼ中央にある小泉履物店もその一軒。かかしまつりの日、店主の小泉重雄さん(82)は椅子に腰掛けて行き交う人たちを眺めていた。

 1949年、親が履物店を開くため芝大門の近くから引っ越してきた。「あらゆる店があったよ。呉服屋さんに床屋さん、角のところは花屋さんだったな。夕方っちゅうとね、買い物客があふれかえっていたんだ」。店の2階からは東京タワーがどんどん高くなっていくのが見えた。

 両親を手伝いながら定時制高校に通い、店を継いだ。近くの店に「金の卵」として集団就職した若者が、給料日になると店にやってきた。「子どもみたいな若者が働かなくてよくなったんだから、いい時代になったってことだよ」

1971年撮影。東京・港区三田1丁目近くの上空から、東京タワーを正面に見て東麻布、三田、芝公園、麻布台方面を空撮。手前は首都高速都心環状線、朝日新聞社機から

 時代とともに、店に並ぶ商品も草履やげたから靴へと変わっていった。霞が関の官庁で出張販売をすれば飛ぶように売れた。エプロンに縫い付けた大きなポケットが、お札と釣り銭でぱんぱんに膨らんだ。バブルのころは不動産屋が日参したこともあった。

 子どもたちが登校前に靴を買えるように、店は朝7時半から開けた。雨の日は上履きやズック靴を買い求める客がひっきりなしにやってきた。

 最近は外国人客向けに大きなサイズのげたを仕入れた。でも、店を訪れる客はめっきり減った。妻と娘の3人で守ってきた店をもうすぐ閉じると決めた。「さみしいよね。子どもの時からずっとやってきたんだから。でも、仕方ないよ」

■厨房に立つ96歳「死ぬのを…

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