JR新潟駅前では、燃料装荷に反対する人たちが「7号機に核燃料を入れるな」「原発再稼働おことわり!」と書かれた紙などを掲げた=2024年4月15日、新潟市中央区、井上充昌撮影
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 東京電力柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市、刈羽村)で15日、7号機の原子炉に核燃料を投入する「燃料装荷(そうか)」が始まった。13年ぶりの稼働に向けた大きなステップとして、地元からは歓迎、反対の声が上がる一方、地域の分断を心配する声もある。

 「燃料装荷は稼働に向けた準備の一つのプロセス。順調に進んでいるな、と思っている。正常な姿に戻ることで柏崎の経済活動は上向きになる」。建設資材を扱う株式会社「イシザカ」の石坂泰男社長(59)は淡々と話した。

 石坂さんが副会頭を務める柏崎商工会議所は1969年の誘致決議から原発との「共生」を掲げる。それだけに3年前に発覚した一連のテロ対策不備と、それを原因とする原子力規制委員会による事実上の運転禁止命令は大きな衝撃だった。「発電のためにあれだけの設備投資と資本を投下したものが、本来の目的を達成せずに『遺物』として残されているのは許容できない」

 運転禁止命令が解除されると、同会議所は他の5団体とともに、早期再稼働を求める請願を柏崎市議会に提出。3月21日に16対5の賛成多数で可決された。

 県は再稼働に慎重な一方、地元の市、村は前向きで、石坂さんは「今後は柏崎で働く社員が増えることも予定されている。町内会の行事や地域活動に参加してもらいたい。まちづくりにもプラスになる」と期待する。

 市民団体「原発を再稼働させない柏崎刈羽の会」の共同代表・本間保さん(73)は10日に燃料装荷の中止を東電に求めた。「再稼働スケジュールありきで計画を進める姿勢は、『地元の理解を大切にする』との言葉が形ばかりのものであることを示している」と憤る。

 市内では2年前の冬の大雪で、国道と高速道路が同時に1日以上、通行止めになった。元日の能登半島地震では家屋が倒壊し、道路も寸断された。万が一、原発で事故が起きた場合、安全に避難できるのか。「能登半島地震で街の雰囲気は変わった」と、市民の不安の高まりを訴える。

 地元のNPO法人「あそびそだちiLabo」の理事長、笹川陽介さん(43)は「もっと子育て世代や若い人たちが(再稼働の議論に)参加しやすい雰囲気をつくれないか」と話す。

 意見が割れる地元の様子を見て、大切な問題なのに「近寄りたくない」と思ったり、無関心になったりする人が増えてしまう、と懸念する。「全員が納得するのはあり得ないと思う。ただ、それでも『そこまで考えているんだね』と思い合える地域にしていきたい」と願う。(戸松康雄)

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