ノーベル平和賞受賞の知らせに、涙を流す広島県被団協の箕牧智之理事長(右)=2024年10月11日、広島市中区の広島市役所、上田潤撮影

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞の授賞式が10日にある。核の脅威が増す国際情勢にあって「核兵器を使ってはならない」という訴えに力をもたせる倫理とは。2人の識者に聞いた。

佐藤史郎・東京農業大教授(国際政治学)

 広島と長崎以降、核兵器がなぜ戦闘で使われなかったのか。よく言われる核抑止は、核兵器を使用すると脅すことで相手国の核使用を含む攻撃を牽制(けんせい)するものだが、米国はベトナム戦争のように核を持たない国へも核兵器を使わなかった。

 米国の国際政治学者ニーナ・タネンウォルドは、2000年代に著書で、核抑止だけでなく、核を使ってはいけないという道徳的な規範意識、「核のタブー(禁忌)」が存在するからだと主張した。通常兵器で対処でき、核使用の必要がなかったからだと否定する研究者らもいるが、核使用をためらわせる何らかの社会的規範が存在することまでは否定できないだろう。

 広島・長崎の惨禍、核兵器の非人道性を被爆者が語らなければ、この規範意識は国際的に広がらなかっただろう。核廃絶を唱える活動に対して「理想主義」との批判もあるが、被爆者の語りは現実の国際政治を動かしている。平和賞には核のタブーは存在するという国際社会の認識を強める意義がある。

 ただ、核のタブーという概念が一体何を指すのかは国際社会でも定まっていない。規範意識が将来にわたって持続する保証もない。被爆者の声を聞いた私たち一人ひとりが核のタブーとは何なのかに向き合い、規範意識を強固にしていかなければならない。

「原爆の惨禍を繰り返してはならない」。私たちにとっては自明のことに思えますが、現実の国際情勢では核使用の脅威は高まっています。なぜ核兵器を使ってはいけないのでしょうか。国際政治学が専門の佐藤教授と、記事の後半では戸谷洋志・立命館大准教授に哲学の知見から語ってもらいました。

核と正戦論

 国際政治学では「正戦論」と…

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