オランダ・ハーグにある国際司法裁判所(ICJ)判事を3期27年間にわたって務めた小田滋さんが、今月4日、100歳で亡くなった。海洋法の世界的権威で、東北大の国際法研究の礎を築いた人でもあった。
記者(石橋)は29年前、ハーグの小田さんを取材に訪ねた。
ICJは1996年7月、国連総会の要請に対し、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」という勧告的意見を出した。あいまいさを残しつつも、核廃絶へと向かうべき道標を国際社会に示した形となった。
裁判官は弁明せず――。小田さんは評議の経緯を詳しくは語らない。代わりにこんなことを明かした。
「被爆国の判事ともあろうものが…」
「国境紛争のような事件なら、判事の意見は直線定規の端から端までの間に分布し、どこで区切れば多数になるか、見当はつく。だが今回、判事14人の考えは、楕円(だえん)の中に散らばるようだった」
緊張に満ちた評議の中で、小田さんは最後まで「問題は法的解決になじまず、ICJは答えを出すべきでない」と主張。そもそも核兵器についてICJに問うのは政治的動機に基づく、などと批判した。
その反対意見は「被爆国の判事とあろうものが」と、日本の世論の批判を浴びた。小田さんの姿勢は、政治に安易に流されず、国際法の役割と限界とを考え抜いた法律家としての矜持(きょうじ)だったのだろう。判事時代を貫いた信念は、国際司法界から信頼される裏付けにもなった。
学者生活の本拠だった東北大には、小田さんの業績を顕彰する記念室がある。ICJでまとった法服やかかわった事件の資料、留学した米イエール大での博士論文などが展示されている。
敗戦後、世界とわたりあった法学者
西本健太郎・東北大教授によ…