信夫隆司・日本大学名誉教授が米国のNPO「国家安全保障公文書館(NSA)」から入手した米公文書の写し。1959年6月9日にマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と交渉した翌日、日本側から外相が「秘密の解釈了解(classified interpretive understanding)」の可能性を考えているという連絡があった、と記されている
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 米軍核搭載艦の日本寄港をめぐる密約の経緯を示す米公文書には、両政府の生々しいやり取りが記されている。日本政府はそれでも密約を認めず、非核政策の原点を曖昧(あいまい)にしたまま、緊張を増す国際情勢に臨んでいる。

 今回見つかった米公文書によれば、日米安全保障条約の改定交渉で、藤山愛一郎外相は核搭載艦の寄港を事前協議制度の対象外とすることを了解。核持ち込みを認める密約が交わされた。

  • 核搭載米艦、寄港認める密約経緯 60年安保改定時、米公文書に明記

 藤山外相は1959年6月のマッカーサー駐日大使との会談で、この密約に関する機密文書の作成を拒む理由を「長々と説明」した。大使は「後に責められるのを避けたい岸(信介首相)の望みは十分理解する」としつつ、「将来の誤解を避けるため不可欠」と迫る。最終的に両政府は60年1月、密約に関する「討議記録」を作成した。

ずさんな文書管理 有識者は反省を求めた

 核搭載艦の日本寄港をめぐっ…

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