7月20日夜、参院選の開票作業が進み与党である自民・公明両党の敗北が確定的な情勢となるなか、石破茂首相は「国家に対する責任や、比較第1党の議席をいただいたことに対する責任を果たしていかねばならない」と、続投の意思を表明した。
その姿をテレビ画面越しに見つつ、私は18年前のことを思い出していた。
2007年の参院選は、自民党が今回獲得した39議席にも届かない、37議席の歴史的大敗だった。7月29日、私は自民党本部4階に設置された開票センターから中継でテレビ出演する、当時の安倍晋三首相の様子を見守っていた。安倍氏が語ったのは、石破首相とほぼ同じ趣旨だった。
「反省すべきは反省していかねばならないが、私の国づくりはまだスタートしたばかりだ。そのため、これからも総理としての責任を果たしていかなければならない」
今回と18年前の違いは、ナンバー2の対応だ。
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森山裕幹事長は石破首相を引き続き支えていく道を選んだが、当時の中川秀直幹事長は「幹事長の責任であることは間違いない。安倍政権もしっかりした人心一新の体制を築きなさい、という民意だろう」と述べ、辞表を提出した。
選挙に敗れた最大の責任は、間違いなくトップにある。安倍氏自身がそれを認めているのに、ナンバー2である幹事長のみが詰め腹を切らされる。そんな結末が、私には理解できなかった。何より、中川氏自身が納得していないように見えた。なぜそんな結論に至ったのかも分からなかった。これらの舞台裏を解き明かすことは、幹事長番である自分の役割だと強く感じた。
この日の夕方には、もう一つ、不可解な動きがあった。安倍氏が続投を、中川氏が辞任を表明する6時間ほど前のことだ。
中川氏、森喜朗元首相、青木幹雄参院議員会長の3人が都内ホテルで顔をあわせた。会談の一報が流れると安倍氏を退任させるための協議、とのうわさが一気に広まった。
中川氏はその後、安倍氏に会うため首相公邸に向かったが、その公邸では直前まで安倍氏と麻生太郎外相が2人きりで話し合っていた。
選挙の開票が進み大勢がほぼ確定した未明、党本部を離れようとする中川氏に「何が起きたのか知りたい」と伝えると、険しい表情のまま首を横に振った。「言えない。今回の一連のことは、後年、歴史法廷が裁くのではないか」と消え入るような声で話し、宿舎に戻った。
私は1日熟考して、長い手紙を書いた。「歴史法廷には証拠となる記録が必要だ。報道の使命はそこにある」。生意気にも、そんなことを書いた記憶がある。手紙は翌朝、随行する秘書に預けた。
その日の夕方、携帯電話が鳴…