自宅のリビングで遊ぶ長谷川元気さん(左)、年子の弟(右)と翔人さん=1994年5月5日撮影、長谷川元気さん提供

 阪神・淡路大震災の1年後から、被災地では1月17日に犠牲者の追悼行事が開かれてきた。遺族代表が毎年あいさつに立ち、胸につのる思いを語ってきた。残された人たちが、いつか誰かの心に届くと信じて、言葉をつないでいく。

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 神戸市中央区の東遊園地では今年も、発災時刻である午前5時46分から追悼式典があった。

 遺族代表として、市立若宮小の教諭、長谷川元気さん(38)が追悼の言葉を述べた。語ったのは、30年前の後悔。そして感謝だった。

 当時の住まいは、古い木造2階建てのアパートの1階。あの揺れで、2階部分が落ちてきた。

 母・規子さん(当時34)と弟の翔人(しょうと)さん(当時1)は大きな洋服タンスの下敷きになった。

 規子さんは温かく、活気にあふれた人だった。近所の子たちも巻き込んで、公園で鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでくれた。

 翔人さんは笑顔の可愛い子。サッカーボールを転がすと勢いよく蹴り返した。その様子を見て、「すごい。将来が楽しみ」と規子さんが言っていたのを覚えている。

 父から、2人の死を告げられた。

「1・17のつどい」で追悼の言葉を述べる遺族代表の長谷川元気さん=2025年1月17日午前5時48分、神戸市中央区の東遊園地、水野義則撮影

 小学2年生だった長谷川さんに、後悔が襲う。

 どうしてもっと母を優しくいたわることができなかったのだろう。どうしてもっと翔人と遊んであげられなかったのだろう、と。

 大切な人の存在は当たり前ではなく、一瞬にしていなくなることもあると初めて知った。

 学校に行っても、同級生の口から「お母さん」という言葉が出る度に、悲しくなった。

 泣く姿は見せたくないので…

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