「イントネーションがちょっと違うかな」。日本語を学びたい外国人向けに、さいたま市の公民館で週2日開かれている無料の日本語教室「くすのき」。7月下旬にあったクラスでは、市内に住む武田早智子さん(84)が、都内の機械設計会社で働くベトナム人の男性に、文法や発音を一対一で教えていた。
武田さんは「くすのき」が発足した1993年当初からのメンバー。ボランティアの中では一番の古株だ。30年以上もボランティアを続けてきたのは、幼かった時の戦争の記憶があるという。
武田さんは1940年、当時の満州に生まれた。軍人だった父はソ連国境に近い東部の綏芬河(すいふんが)という町で物資などを運ぶ鉄道の駅長だった。
命尽きた弟 生きて帰れたのは紙一重
バーン。45年8月、家族で隠れるように暮らしていた部屋に、突然2人のソ連兵がドアを蹴飛ばして入ってきた。日ソ中立条約が破られ、ソ連軍は満州に侵攻してきていた。ソ連兵は武田さんの目の前で父に銃を突きつけ、腕時計を奪い、父を連れ去った。
一瞬のことで、幼かった武田…