「産みの苦しみ」に象徴されるように、母親が子どものために払う自己犠牲は、しばしば美化されたり、当然とされたりします。このまなざしは、母親たちに何をもたらしてきたのでしょうか。小児科医の森戸やすみさんに聞きました。
- 無痛分娩に「育児できるのかね」の偏見 欠けているのは人権の視点
小児科医として母親たちと接するようになり、ずっと気になっていたことがありました。「私が寒い思いをさせたから風邪を引いてしまった」「私のせいで子どもが難しい性格になってしまった」――。自分を責める人がとても多いのです。そのことは、「産みの苦しみ」に対して社会や母親自身が抱く「母親の自己犠牲は当たり前」という意識とつながっていると感じています。
母親に対する幻想は強固です。「自分の母親がこうだった」「自分は母親としてこうやった」という個人の体験から「あるべき姿」が生まれ、他人にも押しつけてしまう。そのため、出産の苦しみを避けることにも、スマホやハーネスなどの新しい育児の道具を使うことにも、「楽をするな」という気持ちになるのでしょう。
さらに母親に対しては、赤の…