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石牟礼道子さんの「苦海浄土」に残っている、鶴見和子さんの書き込み=2024年5月15日午後3時54分、京都府宇治市、北川学撮影
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 2006年に88歳で亡くなった社会学者・鶴見和子さんが集めた膨大な研究資料が、京都文教大学(京都府宇治市槇島町)に保存されている。水俣病の調査に携わった際の患者への聞き取りノートなど、貴重なものが多い。

 図書館の書庫に200個近いファイルボックスが並ぶ。「水俣一九九〇年―」「水俣聞き書」「南方熊楠」「海外公害問題関係資料」……。テーマごとに分けられ、1点ずつ資料を入れた紙袋が収めてある。

 鶴見さんが不知火海総合学術調査団の一員として、1976~81年に水俣病患者から聞き取り調査をした手書きのノートにはこう書いてある。

 〈自分としては病気してから言語障害があるし、自らの考えを他人に正確に伝えることはできん〉

 〈一度水俣病のはげしい時のような痛みがかえってきた。今は体力に応じてやっている〉

 ほかにも、水俣病患者の実相に迫った「苦海浄土(くがいじょうど)」で知られる作家・石牟礼道子さんからの手紙などもあるという。

 上智大学などで教壇に立った鶴見さんは95年に脳出血で倒れ、2年後に東京から宇治市の施設に転居した。そのころ、開学から間もない京都文教大と鶴見家の縁により、鶴見さんの手書きのメモや手紙など約6200点の資料が寄贈された。

 京都文教大の杉本星子教授(社会人類学)は「水俣での体験は、発想やものの捉え方など、鶴見さんを大きく変え、彼女の『内発的発展論』の原点となった」と話す。

 内発的発展論とは、西欧をモデルとした経済発展ではなく、地域の伝統文化や自然生態系との共生に基づいて、その場所ならではの資源や人材を育んでいくという発展のあり方をめざした社会運動論だ。

 「最終的には人と人、人と自然が共生し、誰も排除しない社会をつくることをめざしている。ウクライナやパレスチナで戦争が続き、環境破壊が叫ばれる今こそ、注目してほしい理論だ」と杉本さん。資料には個人情報が多く含まれるため一般公開は難しいが、研究者や大学院生に活用してほしいという。

 京都文教大には、資料のほかにも約6千冊に及ぶ鶴見さんの蔵書も寄贈されている。「鶴見和子文庫」と名付けられ、学生にも利用されている。

 その一冊で、作家・大江健三郎さんの「大いなる日に―燃えあがる緑の木 第三部」には大量の付箋(ふせん)が貼られ、あちこちに傍線が引かれている。所々に書き込みもあり、大江さんが作家人生の節目として書き上げた作品に鶴見さんが影響を受けたことがうかがえる。(北川学)

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