【動画】沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する城間一歩輝さん=西岡臣撮影
沖縄県糸満市の県平和祈念公園で23日に執り行われた沖縄全戦没者追悼式で、今年は豊見城(とみぐすく)市立伊良波小6年の城間一歩輝(いぶき)さん(11)が「平和の詩」を朗読した。祖母が沖縄戦で受けた苦しみを題材にした詩「おばあちゃんの歌」。でも、おばあちゃんは最初、孫の大役に戸惑いをみせた。
詩を作るきっかけは、ゴールデンウィークに出された学校の宿題だった。沖縄戦を体験した祖母・比嘉キヨ子さん(85)に2度、じっくり話を聞いた。
〈一年に一度だけ/おばあちゃんが歌う/「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」/泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた〉
慰霊の日は県内の学校が休みになり、家族で祖母の家に行って先祖を供養するのが恒例だった。キヨ子さんはこの日だけ、ある歌を歌っていた。
あなたもわたしも、艦砲の食い残し――。「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」という沖縄民謡だ。
キヨ子さんは5歳だった。当時の豊見城村から家族で逃げていた時に米軍の艦砲射撃が激しくなり、赤ん坊を抱えた避難民が目の前で直撃を受けて死んだ。地元に引き返し、壕(ごう)にこもった。
しかし、米軍に手榴弾(しゅりゅうだん)を投げ込まれ、1歳の弟は顔に大けがを負って亡くなった。キヨ子さんは左太ももが裂け、米軍の病院で右の太ももから皮膚を移植して一命を取り留めた。
おばあちゃんから聞いた戦争体験と傷の深さに衝撃を受け、素直に詩にした城間一歩輝さん。でもそれは、祖母が80年間押し隠してきた「傷」を公にすることでもありました。朗読が決まってしまい、心配する一歩輝さんに、祖母は声をかけます。
実の娘にも見せなかった戦争の「傷」
だが、大きな傷痕が残った…