沖縄返還交渉で佐藤栄作首相(当時)の密使を務めた国際政治学者・若泉敬氏(1930~96)が、亡くなる2年前につづった遺書がある。戦後80年にあたる今年、その遺書が沖縄県公文書館に寄贈されることになった。文面には、沖縄への核兵器持ち込みに関する「密約」に関わったことへの強い自責の念が記されていた。
若泉氏は69年、佐藤首相の密使として、米国のニクソン大統領の補佐官だったキッシンジャー氏と水面下で交渉し、沖縄返還(72年)の合意実現に尽力した。
一方で、合意の背景には、「返還後も重大な緊急事態には沖縄への核兵器の再持ち込みを認める」という密約があった。この密約は若泉氏が1994年5月に出版した自著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で明らかにされた。
若泉氏は出版から2年後の96年、福井県鯖江市の自宅で死去した。
- (Another Note)沖縄返還の密使・若泉敬、自問自答を重ねた足跡 藤田直央
「歎願(たんがん)状」と題された遺書は便箋(びんせん)5枚につづられている。「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版した翌月、「沖縄慰霊の日」にあたる6月23日に書かれた。遺書は、沖縄県民や当時の大田昌秀知事ら宛てだった。
密約を暴いた自著の公刊について言及し、「一九六九年日米首脳会談以来 歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を執(と)り、武士道の精神に則(のっと)って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します」とつづっている。
遺書は、若泉氏と親交のあった男性が保管していました。沖縄県公文書館に寄贈するその思いとは。
一方で、「沖縄県民の皆様の…