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写真・図版
浜松復興記念館が常設する「AI語り部」でもある野田多満子さん=浜松市中央区利町、青田秀樹撮影

 一夜にして見渡す限りの焦土が広がったと伝えられる浜松大空襲から18日で80年となる。市によると1万6011戸が全焼、1157人が命を落とした。生き残った人の心にも癒えがたい傷が刻まれ、その後の人生にも影を落とし続けた。

 野田多満子さん(87)=浜松市中央区=は、7歳だった。すでに空襲で自宅を焼かれ、浜松市中心部近くの知人宅に身を寄せていた。

 1945年6月17日。「きょうは静かだね。ゆっくり休めそうだね」。母の言葉を聞き、三つ年上の姉との3人で川の字になって床についた。爆音がとどろいたのは日付が18日に変わったころだ。

 いつもと同じワンピースに着替えて家を飛び出した。雑木林の先、真っ暗な夜のいたるところに赤い炎が広がっていた。

 降り注ぐ焼夷(しょうい)弾が6万5千発にのぼることなど知るよしもない。それでも「もうだめだ」と感じる火の勢いだった。防空壕(ごう)も危ないと言われて逃げ始めた。

 通りは、さながら人の洪水。転ばぬよう、前を行く人の足元を見ながら走り続けた。

ぽっかりと開けた空間に

 道が枝分かれするかのように…

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