取材考記 科学みらい部・鈴木智之
街を彩った木々は涙を流さず、どんどん切られる。木にとって、人にとって、何が幸せか。連載「街路樹のこと」の取材を重ねる中で、私は悩み続けた。
- アカシア消えたあかしあ台 住民が愛した侵略的外来種、下した結論
街路樹や公園樹は、基本的に人のために植えられている。景観を整え、木陰をつくり、人を癒やす。根は水を蓄え、葉は二酸化炭素を吸う。大きくなればなるほど、価値は高まる。
かつては、「数」を増やすことが目的だったから、過酷な環境でも次々に植えられた。排ガスを和らげる効果もあるので、間隔は詰め詰めに。
未来の姿が綿密に検討されることは少なかったのだろう。剪定(せんてい)回数が減って極端に切り詰められ、痛々しい姿になった木も多い。これでは木陰も十分に提供できない。
一般的に、成長すればメリットと同時に倒木や落枝のリスクも増す。強風や、キノコによる腐朽など、理由は様々だ。
欧米はそれでも立派な緑を増やそうとしている。連載で書いたように、枝葉が茂っている割合である樹冠被覆率を3割や4割にしようという都市もある。
しかし、労働人口の減少が続く「8がけ社会」に向かう日本では人件費が増える半面、木に回す予算は増えない。
金がなく、危険性も増してい…