戦後80年を過ぎ、家族の中で戦災やその後の苦しい暮らしといった経験をどのように伝えていくかが課題になっている。栃木県の福田富一知事も南洋の激戦地で祖父を亡くしているが、残る情報は乏しく、戦争体験の継承に悩む一人だ。
――おじいさんの喜平さんの軍歴は。
軍歴証明書では、召集されたのは1942年11月。2等兵で(兵站(へいたん)などを担う)輜重(しちょう)兵。宇都宮市にあった旧陸軍の輜重兵第51連隊に入り、12月には宇都宮を出発して、下関、釜山を経てチチハルで駐屯した。
旧満州での駐屯経て、激戦地のパラオに派兵
その後歩兵第59連隊に編入され、44年3月にチチハルを出発して、旅順、大連、門司、横浜。そして館山から小笠原、パラオに。アンガウルについたのが4月28日。その後、第1次、第2次のパラオ作戦に従事して、12月31日にアンガウルで「玉砕」となっている。
――パラオでの戦闘は10月に終わっている。
亡くなった正確な日がわからないから、証明書では切りのいい12月31日にしたのだと思う。うちには祖父の遺品として貝殻が一つあったが、家の建て替えで見当たらなくなってしまった。遺骨もない。どのようにして亡くなったかはまったく分からない。
私が83年に宇都宮市議に初…