福島季評 安東量子さん
そこは、「まるで天国」だ。アメリカで長く愛されてきたカントリーソング「Take Me Home, Country Roads」(作詞・作曲:John Denver,Taffy Nivert,Bill Danoff)がそう歌うのは、東部に位置するウェストバージニア州だ。アパラチア山脈に貫かれ、自然豊かで風光明媚(めいび)な山岳地帯として知られる。州の南部には19世紀半ばから開発された炭鉱地帯が広がる。一方、景観の美しさは、土地利用の難しさの裏返しでもある。炭鉱業が栄えた一時期を除き、経済的には恵まれない低所得地帯といわれる。
広大なアパラチア炭田の一部となるこの炭鉱地帯の一角、バッファロー・クリークで、アメリカの災害史に残る大洪水―それも人災―が起きたのは、1972年のことだった。山あいの谷を流れる細い川筋に沿って立ち並ぶ集落の上流には、炭鉱の鉱山ゴミで造られた、廃水をためておく巨大な貯水ダムがあった。それが雨で決壊、怒濤(どとう)の濁流となって谷筋の集落に襲いかかったのだ。荒れ狂う激流に直撃され、125人が亡くなり、谷筋にあった家屋の多くが消失、5千人の住民のうち4千人が住居を失ったという。住民の多くは、炭鉱労働で生活を成り立たせていた人々だった。
災害から1年後に現地に入った社会学者カイ・エリクソンが、「抜け殻」となった住民たちの様子を豊富な証言とともに記録している。この災害が歴史に残るのは、その規模のみならず、エリクソンが記した著書「EVERYTHING IN ITS PATH(邦題:そこにすべてがあった、訳:宮前良平など)」の影響もある。彼は、この出来事を経済的、人的、物理的な被害や、あるいは、企業の過失責任の問題としてだけではなく、そこに暮らしていた人々にどのような意味があるのかを膨大な資料と証言から描き出した。
内容の大部分は、住民たちの…