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モールス信号を打つ様子を見る生徒たち=2024年12月5日、岩手県釜石市、東野真和撮影

 東日本大震災発生時に「命綱」となった岩手県釜石市の釜石漁業用海岸局を5日、近くの県立釜石商工高電気電子科1年の7人が見学し、東谷伝(あずまやつたえ)局長(69)から経験談や無線局としての役割を聞いた。

 東谷局長は、当時撮影した動画や音源を流しながら説明した。同局は地震発生直後から各船に向け、津波に注意を促す放送を開始。市広報より早く津波の予想高が3メートルから6メートル、10メートルと変わったことを伝え、避難を呼びかけた。

 携帯電話は中継局が被災して通じなくなり、内陸に状況を伝えられなかった。同局は停電していたが、非常用電源を使い、震災当日に同局や釜石商工などに避難した生徒名や、教師、付近住民らが何人避難しているかなどを世界中に無線で流した。

 漁業用無線で陸上局と交信するのは電波法違反だが、東谷局長は「私が責任を取ればいい」と覚悟して行った。

 付近では携帯電話が2週間、固定電話は1カ月以上不通が続いたが、無線連絡はできた。数日後に燃料の軽油がなくなった後は灯油を入れて続けた。

 東谷局長は「無線は災害に強い。様々な通信手段を補完する」と話した。

 同局は岩手県内にある九つの漁業無線局や送受信所を統括。5人が交代で24時間、無線機に耳を傾け情報を伝えている。

 釜石商工は、復興教育の一環として毎年、同局を見学している。東谷局長の話を聞いた佐藤颯太さん(16)は「震災の記憶はないが、1月の能登半島地震の様子をテレビなどで見て、釜石でもあったんだと再認識した。自分も人を助けられるような人になりたい」と感想を話していた。

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