8年前の熊本地震で、熊本県阿蘇市の阿蘇医療センターは、全国から集まった災害派遣医療チーム(DMAT)の活動拠点の一つとなった。その経験から、支援する側としてDMAT隊員の育成に力を注いだ。災害時こそ「地域医療の灯」は守らねばならないという使命感が支える。
今年1月20日。阿蘇医療センターの医師、看護師、診療放射線技師ら5人を乗せた車が、石川県穴水町をめざした。能登半島地震を受け、熊本県が派遣したDMATチームの一つだ。
阪神・淡路大震災で初期医療の遅れがあったと指摘された反省から2005年に創設されたDMATは、能登半島地震では過去最大の1139隊が活動に入った。阿蘇医療センターのチームは22日以降、富山県高岡市の宿泊先から約2時間をかけ公立穴水総合病院に通った。25日までの間、夜通しで救急外来に対応したほか、慣れない道を夜間に患者搬送したり、救急車を空にして段ボールベッドを避難所に運んだりした。
想定外の要請もあったが、隊長の坂本圭医師(41)は帰任後の2月末にあった活動報告会で「聞いていない、分からないは通用しないという思いで臨んだ」と力を込めた。病院や町民が何を必要としているのか、その把握に心をくだいた、と振り返った。
センターのDMAT活動は18年に始まった。きっかけは16年4月16日に阿蘇市を震度6弱の揺れが襲った熊本地震だった。
免震構造の建物はほぼ無傷だ…