京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)が15日、京都市であった。平安装束姿で、フタバアオイの葉を身につけた約500人の行列が京都御所から下鴨神社、上賀茂神社までの約8キロを歩いた。沿道では約3万3千人(京都府警発表)が見守り、新緑の古都の王朝絵巻を楽しんだ。
祭りのヒロインの斎王代(さいおうだい)は東京芸大大学院生の山内彩さん(25)が務めた。十二単(ひとえ)姿で、腰輿(およよ)と呼ばれる輿(こし)に乗り、そばに仕える童女らと都大路を進んだ。
祭りは両神社の例祭で正式には賀茂祭という。紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子にも登場する。奉仕者がフタバアオイの葉を身につけることから葵祭と呼ばれるようになったという。
午前10時半の出発前、行列に参加する約500人が京都御苑に集まった。平安装束姿で、フタバアオイの葉を身につけていた。
祭りのヒロイン、斎王代を務める東京芸大大学院生の山内彩さん(25)が十二単(ひとえ)を身にまとい、報道陣の前に姿を現した。欽明天皇の時代(6世紀)に始まったとされる祭りの重みを語った。
「この神事が続いてきた意味だけでなく、みなさんの祈りや願いを神さまに届けることの意味を深く考えておりました」
父の庄一郎さん(72)と母の早苗さん(67)に励まされながら、「腰輿(およよ)」と呼ばれる輿(こし)に乗り込んだ。「(京都の景色は)生まれ育って見慣れているはずなんですけど、今日は彩り豊かに見えています」と話した。
知人で漫才師のハイヒール・モモコさんも駆けつけた。「これ(斎王代)になるために生まれてきたぐらい、とてもきれい」と喜んでいた。
山内さんは京都御所を出発し、下鴨神社に到着。神事を終え、上賀茂神社まで進んだ。
京都市左京区の小学2年の双子、小島真結(まゆ)さん(7)と妹の真稀(まき)さん(7)は、いとこの森幾子(きこ)さん(7)と一緒に、宮中に仕える童女(わらわめ)を務めた。3人とも行列に参列するのは初めてだ。
姉妹の母の梨沙さんによると、自宅の近くに下鴨神社があり、よく遊んでいる。姉妹は、斎王代が心身を清める4日の「禊(みそぎ)の儀」に参加し、気持ちが高まってきた。11日の母の日には「葵祭、がんばるね」と書いた手紙をくれた。葵祭の前日は、てるてる坊主を五つ作り、家につるしたという。
真結さんは出発前、「晴れるようにと思いを込めて、てるてる坊主を作ったから晴れてうれしい」と笑顔を見せた。真稀さんは下鴨神社で「歩いている途中、外国の人にかわいいと言われてうれしかった」と話した。梨沙さんは「葵祭をきっかけに京都のこと、神社のことを深く知ってほしい」と期待する。
行列のなかには初めて参加した姉妹もいた。京都市左京区の高校生、佐竹杏子(ももこ)さん(18)と妹の菜々子さん(16)だ。
平安時代の女官・命婦(みょうぶ)を務めた杏子さんは出発前、「高貴な身分の役なので上品に演じたい」と意気込んだ。女官・采女(うねめ)を担った菜々子さんは「みんなが見てくれるので姿勢を正して歩きたい」と話していた。
叔母の亜紀さんは2000年に斎王代を務めた。2人が祖父母の家に行くと、十二単(ひとえ)姿の亜紀さんの写真が飾ってあり、「きれいな着物だなあ」と見とれたという。
2人は、あこがれの斎王代のそばを進んだ。杏子さんは補佐役の男性に花傘を差してもらい、菜々子さんは華やかな髪飾りをつけ、上賀茂神社まで歩いた。
斎王代をはじめとした行列が下鴨神社に着くと、境内で神事「社頭(しゃとう)の儀」があった。俳優の藤岡弘、さんや文化庁の都倉(とくら)俊一長官も参列した。
天皇の使いの勅使(ちょくし)が御祭文を奏上したあと、参拝者代表として藤岡さんが拝礼した。神事のあと、藤岡さんは「静かな感動と潤いと、心のなかにあつさもこみあげてきました」と話した。