国宝になる見通しの琵琶湖疏水(そすい)の建設を主導したのは、第3代京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)(1836~1916)だ。どのように大事業を成し遂げたのか。同志社大と京都橘大の名誉教授の高久嶺之介(たかくれいのすけ)さん(日本近代史)が2024年に出した著書「北垣国道の幕末と近代京都」(思文閣出版)で明かしている。

 北垣は幕末の政治運動に参加し、明治時代に府知事や北海道庁長官などを務めた。本では、北垣の生涯をたどりながら、二つの章で琵琶湖疏水を紹介している。

 天皇が東京に遷(うつ)った京都は衰えていた。高久さんの著書によると、北垣は1881年に知事に就き、その年から工事の準備に着手した。琵琶湖の水で京都に工業を振興させ、用水を確保する。疏水を復興の切り札と位置づけた。

 北垣の日記には「(知事)赴任ノ上ハ、京都将来維持ノ目的ヲ立テ」と記され、後の初代内閣総理大臣・伊藤博文ら国のトップが北垣に京都の復興を託したことが分かる。

 85年に建設が始まり、90…

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